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マリーア・カロリーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1820-1861) : ウィキペディア日本語版 | マリーア・カロリーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1820-1861)
マリーア・カロリーナ・フェルディナンダ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(Maria Carolina Ferdinanda di Borbone-Due Sicilie, 1820年11月29日 ナポリ - 1861年1月14日 トリエステ)は、両シチリア王国の王族。両シチリア王フランチェスコ1世の娘で、スペインのカルリスタ王位請求者であるモンテモリン伯爵カルロスの妻。 フランチェスコ1世とその2番目の妻でスペイン王カルロス4世の娘であるマリア・イサベルの間の第9子、五女として生まれた。父にとっては6番目の娘である。22歳年上の異母姉に同名のマリーア・カロリーナがいる。1850年7月10日にカゼルタ宮殿において、カルリスタの支持するスペイン王「カルロス6世」を名乗るモンテモリン伯爵と結婚したが、間に子供は生まれなかった。1861年、チフスに罹患した夫の看病中に自らもチフスに感染、夫の死の翌日に死去した。伯爵夫妻の遺骸はトリエステ聖堂に葬られた。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリーア・カロリーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1820-1861)」の詳細全文を読む
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